2011年9月14日水曜日

『民藝四十年』を読みました


柳宗悦の『民藝四十年』を読みました。

読み終わったあと、ベッド下から なんと!


あれ〜〜〜  ひどいねえ 。。


柳宗悦さんは、1889年、岡倉天心が上野の美術学校で
校長先生をしていた頃の明治22年から、
1961年まで生きた、「民藝運動」で有名な人です。

この『民藝四十年』は、柳の民藝に関するいくつかの論文が
年代順にまとめられていて、もともとは昭和33年に刊行されたそうです。

そもそも「民藝運動」は何だったのか、については
その趣旨についてはっきり書かれた大切な論文が
この本に入っているので、
柳宗悦の入門書として読むにちょうどよかった。
巻末には、詳しい年譜もついています。

なかなか、この本全てに対する感想は難しいので
いくつかの論稿に絞って、考察をします。


○「雑器の美」1926年(大正15年)

これを書いたころは、まだ「民藝」の語はできていないと思います。
でも、「民藝」とは何だ? に対する
答えは全て書いてあると思います。

そもそも「民藝」の語は、
それまで「美」とすら見られたことのなかった
民衆の作った日常器具に対して、柳が美を見いだしたところからはじまり、
“民衆的な、工藝” の意味から「民藝」という造語ができました。


では、なぜそのような雑器に美が宿るのか?
何をもって美なのか?
について、この論稿でいっていることは、
大体以下のようなポイントでした。

1.それは、実用に耐えられるものなので。
民衆が日常に使う道具であるので、
華美だったり、奇をてらったものではない。
用に耐えるために備わった頑丈な性質には、
偽りのない健全でつつましい美しさがある。

2.それは、名もなき人によってつくられたので。 
雑器をつくるとき、職人は名を刻もうとは思わない。
美をたくらんだり、名を成すために作っているのではない。
貧しい人や、知をもたない人が、生活のために
伝わった手法をそのままに、無心に作りつづける、
そこに無欲の美がある。

3.それは、自然の素材を使っているので。
今のように人工素材があったわけではなく、
自然の素材しかなかった。だからこそ、その素材の特性を
十分に利用し、雑器をつくった。はじめに素材がある。
そのため土地土地の特色が生まれる。

4.それは、多量に生産されるので。
多量につくろうとすると、反復作業と速度が必要になる。
粗雑を生む可能性もあるが、反復は熟練を生み、無駄を省く。
驚くべき速さの動作と反復に、無意識の自然の美が生まれる。

5.それは、手でつくられたものなので。
機械による製品が生まれる前、当たり前のように
すべてが手仕事によってつくられていた。
手による仕事には、筆の走りや、削りの跡に
人が感じられ、またひとつとして同じ物とならない。


そもそも、それまでの雑器については
高級で鑑賞に耐えられるものを 上手もの(じょうずもの)
粗雑で素朴な、大衆的なものを 下手もの(げてもの)
というふうに呼んでいたそうです。

「雑器の美」という題名も、もともとは
「下手ものの美」という原題がつけられていました。

ただ、下手ものの全てが「民藝」なのか、といったらそうではなく、
たまたま柳が美しいと思ったものが、民衆的な性質を持っていたので
それまでの下手ものの誤解をとくためにも、
仮に「民藝」と名づけたという意図でした。


その後、「民芸」という言葉は急速に広がって
柳さんが亡くなってからも、一時ブームとなるほどに、、
消えかけたいくつもの民芸を救ったんだろうと思うけど、
今聞く「民芸品」という響きには、
上ようなことをあまり感じられない

「民芸品」という言葉は、もはや最初の民芸を離れて
べつのものになってしまったと思う。

「民芸品」と聞くと、どことなくあったかさだけは漂うけれど
土産物売り場の、妙に時が止まったようなにおいがしてくる。

『民藝四十年』が刊行されるにあたって、加えられた
「改めて民藝について」(昭和33年)の中にも書かれていたけれど、
「民藝」という言葉にとらわれてはいけない、
ということがもっとも大切だと思う。

新しい言葉は、新しい価値をうむけど、
価値がいつまでも続く事はなくて、いずれ転倒をおこしたりする。
そこに新しい見方が生まれて、
死語がうまれ、新しい言葉がうまれるように、
人はつねに新しい価値を生み出してきたんだと思う。

言葉も形式化してしまうと、ものが見えなくなる。
柳もまずはじめに、「見た」からこそ、下手ものの美を発見できた、
と言っている。


民藝館で見た、柳宗悦の書で、とても印象深い言葉があった。

「今見ヨ イツ見ルモ」

今、いつも今 その時に。 
「民藝」と呼ばれたモノたちも、いつも今、見つめ直さないと
いけないような気がする。

そして、まったく考察まで行き着かなかった・・
まだまだ柳宗悦についてはメモしておきたいので
何回かに分けて書こう。
「自然」とか「宗教」とかのキーワードについても。


あんまり似てないねえ。

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