2012年4月20日金曜日

感想 「ロベール・ドアノー展」 いってきました

写真美術館で開催中の「生誕100年記念写真展 ロベール・ドアノー」を見に行ってきました。


ロベール・ドアノーと言えばこのキッスの写真。というのですが、一体どこで目にして見覚えがあるんだろう。ポスター、カードと様々なものになっているということで、この写真は確かにすごく既視感があるのですが、全然わかりません。写真美術館の外の壁面に巨大なこの写真があるけれど、その記憶でしょうか。謎なんです。

よかったよとオススメいただき、またロベール・ドアノーの誕生日、4月14日にはGoogleのロゴが変わっていたのを見たりして、せっかく2度聞きしたので行ってきました。


全部で186点、回顧展ということで1920年代の初期のものから80年代の作品まで、パリの街並み、当時を生きる人々、有名人のポートレートからちょっとユーモアのある演出されたものまで、色々な写真を見ることができました。

写真はほとんどパリまたはパリ郊外で撮られたものばかり。完璧に意図を凝らしたような美しいものでもなく、大きなインパクトや風変わりさがあるものでもない。普通にある世界。人々が、生き物が、動いて時間が進んで行く世界。それをじっと見つめ、人がふとよそ見して見逃している一瞬を抜き取ったような写真。どれも前後に流れる時間を感じるような写真でした。

ロベール・ドアノー自身は、写真に対して分析的に考えたり、論理を通したり、思考を働かせるタイプではなかったようで、あまりに人々が分析的に写真を見ることに対して、

目覚まし時計を解体すれば、時間が分からなくなるようなものだ

というような事を述べていました。展覧会場に置いてあった図録をぱらぱら見ていたときにこの言葉を見たのですが、言い回しなどの言葉づかいに興味をひかれたので、少しロベール・ドアノーの言葉をあつめてみました。

レンズは主観的だ。この世界をあるがままに示すのではない。私が気持ちよく感じ、人々が親切で、私が受けたいと思うやさしさがある世界だ。私の写真はそんな世界が存在しうることの証明なのだ。
主観的・・なだけでなく、「私」がそのように受け取っている世界が、事実存在しているという考え方がとても印象的な言葉。

If you take photographs, don’t speak, don’t write, don’t analyse yourself, and don’t answer any questions.
写真を撮る時に、どれだけ色々な事を考えずに済ませられるか。絵とちがって写真のように一瞬を切り取るための反射神経を高めるには、分析や思考は邪魔になるのかな。

The marvels of daily life are exciting; no movie director can arrange the unexpected that you find in the street.
日常の中に不思議で驚くような事を発見できる、その目を持っていることが素敵だとおもう。事実は小説よりも奇なり。


そこで、ロベール・ドアノーの文章をもう少し見てみたくなったのでこの本を手にしてみたのですが・・・


『不完全なレンズで―回想と肖像』

もともとは1989年に出されたロベール・ドアノーによる自伝的な本で、これを堀江敏幸さんという色々な文学賞をとっている方が日本語に翻訳され、2010年に出版されたものです。

これが順序どおり過去を回想したものではなくて、人物・場所・物事についてバラバラに書かれ、さらに文章も一筋縄ではいかないような表現で語られているので、読みづらい読みづらい・・・。気分を変えて3回挑戦しましたが、まったく言葉が頭に入って来ず、やむなく諦めました。無念。

しかし、とても素晴らしくまとめられた書評を書かれている方の文章をみつけました。これを読み、ひとまずこの本を無駄にすることは避けられたのでよかったです。

文筆家・大竹昭子の書評ブログ:『不完全なレンズで』ロベール・ドアノー著 堀江敏幸訳(月曜社)


写真については、技術とか見た目の感覚的なものとか、対象とか、そういうところだけに気を取られがちだったので、これまであまり大きな興味がありませんでした。でもロベール・ドアノーの言葉のようにその人の世界の見方、捉え方と考えると、ポートレートなどもすごく面白く感じられて、少し考え方が変わったような気がします。自分の解釈する身近な人たちのポートレートを撮ってみるのもおもしろいだろうなと思ったり。

写真のことについて考える時、写真家があまりに色々な場面を切り取っているのを見て、自分の見ていないものがどれだけ多いことかと、よく思う。べつに目を凝らさなくても、見えるものがたくさんあるけど、何気ない日々は無意識の時間が多い。脳を効率的に休み休み使っているから、慣れてしまったことは無意識になってしまう。だからシャンプーを2回するし、Suicaの代わりに家の鍵をかざしたりする。その無意識を少し取り除けば、もっと見えるものはあるはずなのに。

いったい一日の中でどれだけ無意識な時間があるのか。脳ある人は脳を隠す。もっと無駄に脳を使って世界を見たい。


脳かくし。 

1 件のコメント:

  1. 見に行ったがやね!感想が深すぎて、これ以上私書くことない・・!

    でも書くわ、久々に。うすっぺらいけど。笑

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